こんばんは。
心理学とカウンセリングを学び中の緒山(おやま)まりこです。
年始から心のざわめくことが多い2024年。
前回のブログで、被災地のことを思いつつも
「日常を過ごしながらできることをしていきましょう」
と書きましたが、やはり被災地のことはずっと気に掛かっています。
「今、私にできることがないなぁ」という自分にざわざわしてしまう人は、
ご自身の無理のない範囲での募金もオススメです。
私も、ささやかではありますが募金させていただきました(^^)
*
ということで、今回は “私のできる範囲” というテーマで話をします。
今できる範囲で
今回の年末年始は、母の体調の関係で早めに実家へ帰省していました。
(もう回復したのでご安心を!)
大掃除を手伝って欲しい、ということで。
洗面所とトイレを掃除し、ラスボス(私の担当箇所)に台所のコンロ掃除。
コゲが、、、、取れない、、、、!!!
なかなか頑固なコゲで、落ち切らない。
以前の私だったら
「これを!綺麗に!したい!!!気になるっ!!!」
と格闘し続けているところでしたが(凝り性なのですよ)
今年は「ほどほどでいっか。あ、◯時でキリがいいから終わりにしよー」
と切り上げられた。
今の私のベスト。
完璧を目指さない。これでいいんだ。
どこまでが私のやることなんだろ
母が体調を崩すのは初めてで、
リアルにこのまま病気で倒れたらどうなるのだろう。。
など考えさせられました。
父からは食事の配膳や家事などで
「お母さん大変なんだから、子どもたちもっとやりなよ」と言われます。
※ 父は父なりに、食器を運んだりしています。(料理はしない)
もっと体調が落ちている時には、母を座らせて自分がやっていたそうです。
そりゃあね、体調悪い人にやらせたくないですよ。
でも、、、
実家の家事システムは長年、仕事を無駄に増やしている感じがあります。
・ 洗濯物干し場が遠い(なぜそこに作った?)
・ 漬け物は数種類、おかずは7〜8種類くらい出す(食事のたびに出し入れが手間)
・ 10時と15時に毎日お茶の時間があり、急須からお茶を注ぎ、そこでも漬け物など数種類を用意。
・ 母は月1は外の小屋(食料をしまっている)で手打ち蕎麦を打つ!(特にやりたくないらしい)
そのほかにも、なんでそんなにわざわざ大変にしているの?というところだらけ。
農家ゆえ、祖父母以前からの習慣が残っている。
母に「やりたくないなら、やめたらいいでしょ」
といっても「でも…、父に言われるから」と言って変わらない。
↑ 母は父に言うことはできます。それを父が受け入れないだけ。
(今回、母が回復した後に改めて伝えました。)
*
生活に必要なのにできないことを手伝うのはわかるけど、
やらなくていいことを背負わされるのはまっぴらだ。
小さい頃からそうです。
「お母さんがたいへんそう」→「手伝わなきゃ!」→「でも変わらない・ずっとつらそう ※今日まで続いている」
無力感を覚えるやつよ。幼き私、お疲れ様。
いくら手を貸しても、バケツに穴が空いている感じ。全然楽になっている感じがない。
そんなことを繰り返しているので、私はすべてを助けようとすることをやめました。
それは、私の領域じゃない。
私は私。母は母。境界線を引く。
ただ、、父母が年老いてきたことで
その線引きは今後どうつければいいのかなぁ、という思いも生まれています。
無理なきように
私のやること・できる範囲、その時その時で決めていきましょう^^
さて、今日は1月7日なので、七草粥を作りましたよ。
無病息災を祈り、胃を休める効果があります。
と言っても。
今年はフリーズドライ(ふりかけみたいなの)を混ぜただけ。
これも、今の私が無理せずできる範囲のこと。
ちなみに、、、
炊飯器でお粥を炊いたのだけれど、
モード選択ミスって「炊き込み」にしていまして…
炊き上がり音がして見に行ったら、ぶよぶよ水分(伝わる?)が蒸気口からでろでろ出ていて、、、
炊飯器よ、ごめん。。炊き込めないよね。。。 掃除も大変だった( ´ `)
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年末年始の胃を労わりつつ、過ごして参りましょう^^
読んでくださってありがとうございました!
緒山 まりこ
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