心理学とカウンセリングを学び中の緒山(おやま)まりこです。
土日は根本裕幸師匠のお弟子講座で大阪に行ってきました。
レポートや感想を書きたいところですが、講座の次の日は頭が回りませんーー。
それはいつものことかも?笑
この家に生まれた「メリット」
ということで、今回の記事は、お弟子講座の課題から。
「自分の過去から、価値・魅力・才能を見つける」
という課題がありました。
根本師匠からのフィードバックは、
「家」というのは原点。それが強みになることもあるはず。
田舎の遺産相続が生まれそうな家庭に生まれた「メリット」を探してみたいところ。
おお、そのあたりは考えていませんでした。さすが師匠!
私の生まれは地方にある農家なのですが、父から次の世代への跡継ぎがおらず。
先祖代々の実家の土地とお墓(農地・畑は継がなくていいそうです)をつなぐ人がいません。
*お弟子講座で受けた根本師匠のデモセッションで、その話をしています
ということで、追加で考えることに。
同じような土地に生まれた方に共通する想いかなと思い、せっかくなので記事にしました^^
当事者しかわからない気持ち
まず思いついたのは、これはどんなことにも言えるのですが、
経験した当事者であるので、同じ境遇の人の気持ちがわかる。
東京などの都会で生まれ育った人や、マンションや新しい土地で暮らしている人に
実家の悩みを話した時、伝わりにくい感覚はあります。
実家の近所で暮らしていた幼なじみに話すと一発で通じる。
昔ながらのしきたり、近所との付き合い。空気感。
その場で幼少期から過ごさないと感じられないことがありますよね。
土地に育まれた
ここからは、考えていたらハッと気づいたこと。
私は、この土地に守られ、育まれてきた。
子どものころから、家に帰ると季節の食材をおやつにしていました。
ふかしたジャガイモ、里芋。茹でたトウモロコシ、枝豆。
干したサツマイモ、渋柿から作った干し柿。庭の畑で採れたスイカ。
食卓に並ぶ野菜のほとんどは、家族が育てたもの、近所の方や親族にもらったもの。
食べきれないくらいの豊かな食物を与えられてきました。
この土地からはたくさんの恵みを与えてくれて(もちろん育てたのは家族やいろいろな人ではあるけど)
私たちは土地に感謝して、庭にあるお稲荷さんや神棚にお供物をして参拝して、
また豊かさを恵んでもらって、育っていって。
※お稲荷さん、農家が豊作を神様に祈るため庭にあります。我が家の初詣はまずそこに行きます。
私の根っこにはそういったバックグラウンドがあるので、
帰る場所がある感覚があって、どうにかなると思えるのかなと思いました。
根源であるところ
私は、今まで守られてきた土地で農作をしていないし、
この土地をつないでいく次世代の子どもがいる訳でもない。
何も育んではいない。
それは私の罪悪感の根源なのかもしれない、ふと思いました。
私は、今までずっとつないできたこの土地から
たくさん与えてくれたということを、育つ中で体感として知っている。
*
率直に言うと、私はこの土地に住みたいとは思わない。
閉塞感がしんどい、合わない、自由に生きたい!私をしばらないで!と思う。
でも「じゃあこの土地が、家がどうなってもいいのか」
そう問われると、すぐに「うん」とは言えません。
私が面識のある、父や祖父の代だけでない。
その上の世代も守ってきたから、今の豊かな私がある。守られている私がいる。
だから、手放すこと、切り離すことはすぐにはできない。
帰省して、畑もある広い広い庭の木が伐採されていると、
「あぁ、伐られてしまった」と少し寂しい気持ちになる。
私はここで暮らしていないから、そんなことを言う資格はないから言わないけれども。
それだけ、この土地に愛着というか、育ててもらった体感を持っているのだと思います。
まとめ
ということで、まとめてみます。
「地方の先祖代々の土地に生まれ育った」ことでの価値・魅力・才能 とは。
先祖代々で守り育み、つないできた土地で育ったことで
土地に守られる感覚・安心感をもっている。
体感としてもっているそれらは、人に与えることができるのではないだろうか。
*
今のところ、そんなことを思いつきました。
また思いついたら追記します(^^)
この土地に生まれたことでのデメリット(自由さが無い・制約が多い)
ばかりを感じていましたが、目線を変えると違う景色が見えてきます。
自分のこととなると、よく見えなくなることもありますが、
物語を見る目線。意識すると変わりますね。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
寒いので暖かくお過ごしください^^
緒山 まりこ
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